私は、アメリカの田舎のアパートに住んだ経験があります。同じアパートに住んでいた友だちが引っ越す時、荷物を一緒に運びました。彼は大きなトラックを借りて来ましたが、駐車する時、隣の車にぶつけてしまいました。車の持ち主は、そこにいませんでしたが、通りかかった一台の車が止まって、その中から40代ぐらいの女性が窓を開けてこのように言いました。「あなたは、その車の持ち主に知らせましたか?」友だちは言いました。「これから電話するつもりです。」すると、車から高校生ぐらいの息子さんが下りてきて、ぶつかった車とぶつけた車の写真を撮って、去っていきました。その時、私はその女性と息子さんを見ながら、上の聖書の言葉を思い出しました。“隣人に関して偽証してはならない。”キリスト教の精神が根源になっている国だからこそ、自ら証人になろうとする人がどこにでもいる、そしてそれが社会の道徳性を維持する力なのだなと思いました。