〜 羊飼いたち 〜

 

「羊飼いたちは、・・・(中略)・・・マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」(『ルカによる福音書』2章15〜16節) 

 

▶︎寒くなってきました。季節が確実に巡ってくる自然の姿に感動すら覚えます。その背後におられる主に感謝する毎日です。今年は、コロナ感染拡大とインフルエンザの流行が懸念される中でクリスマスを待ち望むこととなりました。一刻も早く、この状況が打開されることを祈ります。

▶︎さて、マリアとヨセフは、当時のローマ皇帝の命令によって、旅をせざるをえなくなります。宿屋はいっぱいで泊まるところもありません。仕方なく家畜小屋に泊まりますが、そこでイエスが生まれ、ベッドがないので飼い葉桶に寝かせます。ある意味、強いられ、拒絶された、卑しさの中でのキリスト(メシア・救い主)の誕生でした。当時の人々は、まさかそんな形で救い主が登場するとは思ってもみませんでした。この世の姿としては、貧しく卑しい姿の救い主イエスを探し当て訪問したのは、ユダヤの裕福な人々ではありませんでした。イエスを探し当てた東方の学者たちは、おそらくユダヤ人ではなかったでしょう。他の神を信じていた人たちかもしれません。当時の羊飼いたちは最貧層で、人口調査の対象ですらなかったと考えられます。このように、イエスの誕生は、ひっそりと、貧しくても心ある人々によって祝われたと想像できます。

▶︎こんなに貧しく小さなものから、世界中を巻き込む、絶大な救いがもたらされると誰が予想できたでしょうか。イエスの生涯は、その生き方・言動・思想、全てが逆説的です。聖書の中のイエスの言葉にこのようなものがあります。

「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。」(ルカ6-20〜21)

 名もなき羊飼いたちは、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子との出会いの中で、見えないけれども大切な何か(神様からの贈り物)を探し当てたのではないでしょうか。

「メリー・クリスマス!」

園長 松永 章(まつなが あきら)