〜 種は良い土地に 〜

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。//ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。//ほかの種は茨の中に落ちた。すると茨が伸びて覆いふさいだので、実を結ばなかった。//また、ほかの種は良い土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。」

(マルコによる福音書4章3節〜8節)

 

 猛暑の夏が過ぎ、時折、秋の風にホッと一息。実りの秋、食欲の秋を迎えました。まだまだ日中は暑い時間もありますが、子ども達はどんどん成長し、新しいチャレンジを楽しんでいます。
さて、今回の聖書の箇所は、良い土地に落ちた種のたとえです。イエス様はその当時の人々の日常的な身近な事柄を題材にして、多くのたとえ話をしています。このたとえ話には、めずらしくイエス様ご自身による説明が書かれています。
「種を蒔く人は、神の言葉を蒔くのである。・・・良い土地に蒔かれたものとは御言葉を聞いて受け入れる人たちである。」(マルコ4.14~20)

 つまり、この箇所では聖書の「大切な」教えがどのように受け入れられ、芽生え、育ち、実を結ぶかについて語られているようなのですが、いつも身近に「大切な」子どもたちと関わっていると、ふと、こんなことを思ってしまいます。
・・・「大切な」子どもたちの個性が、受け入れられ、芽生え、すくすくと育ち、すばらしい実を結ぶような「良い土地」って何だろう?・・・
子どもたちの個性にとっての「良い土地」とは、「良い環境」と言えるのではないでしょうか。良い土地(良い環境)は恵みの中で自然に与えられることもあるかもしれませんが、ほとんどの場合、鍬を入れ、耕し、肥料を入れ、土を柔らかくし、種を撒いた後も水をやり、手入れをし・・・という作業が必要になります。このことを保育の現場では「環境を整える」と表現したりします。このことは、子どもに限らず人間の成長にとってとても大切なことのように感じます。そして、けっこう手間や努力が必要で難しいことでもありますが、とてもやりがいのある楽しいことでもあると思います。

 子どもたちにとっての良い土地(良い環境)を作るのは、私たち大人の役割でしょう。また、私たち大人自身が子ども達にとって良い土地(良い環境)であるように努力することが求められているようにも感じます。でも、最適の環境を準備しようとすると私たち人間には限界があります。私たちにできる範囲で整えていくことが大切です。そこで最も大切なことは、「愛」を中心に置くことだと考えています。そこからの気づきを工夫し生かしていくことです。
園で、各ご家庭で、この子どもたちの個性がよりよく生かされる環境を一緒に考えて、子どもたちを温かい「愛」の眼差しの中で見守っていきましょう。

 園長 松永 章(まつなが あきら)