「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」
(創世記1-27)
先日のお誕生日会で次のような意味のお話をしました。大人用に言い直してご紹介します。
神様は、この世界のあらゆるものをお造りになりました。そして、お造りになったすべてのものを素晴らしいものとして愛されています。神様は素晴らしいものとして「人間」もお造りになりました。神様は神様ご自身に「かたどって人を創造された」のです。だから、私たちはどこか神様によく似ているのです。
しかし、「似ている」ということは、どこかが「違う」ということでもありますよね。神様に似ていない部分は素晴らしくない部分なのでしょうか。確かにそういうこともできますが、視点を変えて言えば「素晴らしいものとして『似ていない部分』を創造された」ということでもあります。神様とそっくりそのままを創造すれば神様が出来上がります。でも、少し違いがあるから「人間」が出来上がったとも考えられます。そしてこの「少しの違い」こそが「人間らしさ」であると言えると思います。人間らしさには、極めて愚かな部分も確かにありますが、大変素晴らしい部分がたくさんあります。その素晴らしい部分を生かして生きることが「光の子として歩む」ことでもあるのだと思います。
さて、私たち人間の歴史は、親子関係を連綿として繋ぐことで出来上がっています。しかし、不思議なことに、ある親と子が全く同じということは(たぶん)これまでになかったことでしょう。また、現在の私たちもそうだし、今後も親と子は「どこか似ているけれどもどこか違う」それぞれが尊重される一人の人間であることには変わりがないでしょう。
私の子が私と違うところ・・・これこそが、この子の大切にしたい『個性』なのではないでしょうか。
神様は、「神様と似ている素晴らしい存在として」私たちをお造りになりました。そして、このことは「神様と少し違う素敵な『個性』のある存在として」私たちが生きていくことを喜んでおられるのだと考えています。
園長 松永 章(まつなが あきら)