「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」 ルカによる福音書2章11節

~ みなさま!メリークリスマス! ~

 

 ご存知のようにクリスマスとは、イエス・キリストの誕生を祝う日です。

 しかし、12月25日がイエス・キリストの誕生日というわけではなく、キリスト教では「イエスの誕生を記念する日」と位置付けられています。「クリスマス」という言葉は、「クリスト」+「マス」という意味で、クリストはキリスト、マスはミサのことです。つまり「キリストの降誕祭」のことです。世界で最初のクリスマスの夜には、何があったのでしょうか?聖書のルカによる福音書2章11節に「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」と書いてあります。つまり、クリスマスは「私たちのために、救い主がお生まれになった日」なのです。主の使い、つまり天使からこの知らせを最初に受けたのは、野宿で夜番をしていた羊飼いたちでした。

 羊飼いとは、羊をかわいがって、危険から守っている人たちですから、優しくて頼りになる人だと想像するかもしれません。ただ、今から2千年前の当時の社会においては、羊飼いというのは、人々から低くみられる職業であり、神から遠く離れた、見捨てられた人々のように見離されていました。しかし、その夜、そんな彼らのもとに、救い主の誕生の知らせが届けられたのです。聖書は「主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」と伝えています。そこで天使は、「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。」と前置きをしたのでした。このように、世界で最初のクリスマスの夜には、この世で最も見下げられた人々に、真っ先に素晴らしい知らせが届けられたのでした。ここに神の愛があります。救い主なるイエス様がお生まれになったのは、私たちのためであり、このお方こそ、天の父なる神さまから私たちに対する、最高のクリスマスプレゼントであったのです。

イエスは、父なる神の私たちに対する愛と憐みのゆえに、私たちの罪の身代わりとなって、十字架にかけられたお方です。罪とは、愛に反することであると、聖書は語っています。この世に生きているすべての人々の中で、私には罪はないと、いったい誰が言うことができるでしょうか。人に知られているか、知られていないかという違いがあるだけで、すべての人が罪深い性質を持っており、実際罪を犯しています。また、自己中心の心こそが罪なのです。

聖書は、「罪が支払う報酬は死です。(ローマの信徒への手紙6章23節)」と断言しています。だからこそ、私たち人間が本当の意味で幸福になるためには、この罪を誰かが処理しなければなりませんでした。それをしてくださったのが、神とそのひとり子なるキリストです。

神は、私たちの罪の身代わりとしてイエスさまを私たちにくださいました。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネによる福音書3章16節)」

クリスマスになると、メリークリスマスと、お互いに声を掛け合います。それはクリスマスが、喜びの訪れを意味しているからです。

今年も、クリスマスの歓びが、皆さまの上に豊かにありますように。