この夏の暑さと共に、オリンピックの観戦に白熱された毎日だったのではないでしょうか。
日頃会えないご家族、友だちとの再会やこの時で なければできない尊い経験をし、たくさんの宝が子どもたちの心に蓄えられたことでしょう。
私が、お泊り保育の礼拝で「探しなさい。そうすれば見つかる」(マタイによる福音書 7章7節)からメッセージをした時のこと。黙って聞いていたKくんが、 ふと「何を探すの?」と問いかけてきました。その時、「本当にそう…私たちはいったい“何を探して生きているのか”と問うているような、的を得た言葉にハッとさせられました。
深いその問いは、夏休み間、私の中にあり続けました。そんな折、体操の白井健三選手が「体操は遊ぶ感覚、遊びの延長、小さい頃からの感覚が残っている」技が決まったのは「強い決断力が生きた」とインタビューに答えていました。監督も また「遊び感覚でやっているから失敗しても、いろいろと創造していける」と新しい技を生み出す背景がどこからきているのか話されました。
「これだ!」とピタッとくる名言でした。 そして、“遊び”は、「神さまに守られている安心」なのかなと考えました。
“がむしゃらに遊ぶ”、“失敗を恐れずただ遊ぶ”、そこに探していた遊びの目的や新しいことが生まれてくる。
「探しなさい、そうすれば見つかる」と語りかけてくださる のは、神さまであって、親でも、まわりの大人でもありません。何を探すのか、何に夢中になって遊ぶかは、神さまの手の中で子ども自身が選んでいくのです。小さい時の遊びの感覚を持ち続けている人は強いのです。白井選手も、きっと見つかるという信念のもと練習を積み重ね、ここぞという時に決断していくことができたのでしょう。
2学期も、子どもたちが、安心して遊ぶ感覚を持ち続けるそんな毎日となるよう祈って支えていきたいと願っています。(副園長)