~ 良い羊飼い ~
クリスマスと言えば、どんなイメージを抱くでしょうか。幼稚園や教会学校で演じられるページェント(降誕劇)からは、どこかほのぼのとした、あったかい印象を受けるかもしれません。
それはひとりの赤ちゃんの誕生の物語です。初めにお祝いにやってきたのは羊飼いでした。友人でも親戚でもない赤の他人です。二千年前、当時のユダヤ地方では決して重んじられるような人たちではありませんでした。むしろ、社会の底辺でひっそりと暮らしていたというべきでしょうか。
しかし、そのような羊飼いたちに、世界の救い主誕生のメッセージは託されました。歴史を変えることになる重大ニュースを天の使いから受け取るように選ばれたのは、王宮で暮らす支配者でも、神殿を司(つかさど)る祭司でもありませんでした。人々が暖かい家の中で眠りに落ちるころに、野宿をして羊の番をしていた貧しい羊飼いだったのです。
イエス・キリストが教えた言葉が、聖書にこう記されています。
「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」(新約聖書 ヨハネによる福音書10章11節)
羊飼いではなく、羊の所有者でない雇い主は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それは羊のことを心にかけていないからだ、とイエスは言いました。彼の生涯は、社会の中で無視されたような弱者を心にかけたものでした。彼らが生き生きとした人生を取り戻すため親身に関わり、批判の矛先が自分たちに向けられるのを顧(かえり)みず、捨て身で小さな存在に寄り添った、まさに「良い羊飼い」です。
そして、このような生き方を貫いたために、人のいのちよりも自らの定めた規範を重んじる権力者たちにねたまれ、キリストは十字架刑へと追いやられていきます。文字どおり、羊のためにいのちを捨てた生涯でした。
しかし、それは無駄死にではありません。イエスに倣(なら)う人々が、その時代の虐(しいた)げられた人々をいのちがけで守ってきた記録が、この二千年余りの歴史を紡(つむ)いできました。そのあたたかさの原点は、あの救い主降誕のひとこまに秘められているのです。